ペンギン村

アラフォー男子の楽園

『博多ラーメン』の歴史を学ぶ。

 

 

ラーメン大好きなみなさま こんにちは。

 

いまや国民食といっても過言ではないほど日本国民から愛されている『ラーメン』。

昔はラーメンといったら急いでいるときにチャチャっと食べるもの、というイメージがありましたが、今では立派な日本を代表する食文化のひとつですよね。

 

そして日本三大ラーメンといえば『札幌ラーメン』『喜多方ラーメン』そして『博多ラーメン』。

 

今回はその中のひとつ『博多ラーメン』のお話です。

 

『博多ラーメン』とは福岡県福岡市を中心に確立されたラーメンで、白濁豚骨スープストレートの細麺が特徴です。さらには注文時に「カタ」とか「バリカタ」と麺の硬さを指定する点や、麺だけおかわりする替玉システムも博多ラーメンの特徴となっています。

そんな博多ラーメンですが、地元福岡のほうではさらに細分化されて、『博多ラーメン』と『長浜ラーメン』に分けられます。ちなみに福岡県久留米市を中心に広まっているラーメンは『久留米ラーメン』と呼ばれ、独自の文化を保っています。

歴史的に見ると、九州初のラーメン屋台『南京千両』が1937年に久留米で誕生しました。鹿児島を除く九州豚骨ラーメンの源流と呼ばれています。それから遅れること4年後の1941年、福岡の屋台『三馬路』で『博多ラーメン』が産声をあげます。1940年代中盤には福岡、久留米それぞれで白濁豚骨スープが誕生。そして1950年代に魚市場がある福岡市長浜地区で市場系ラーメンとして独自の進化をとげ、ストレートの細麺替玉システムが誕生し、いつからか『長浜ラーメン』と呼ばれるようになります。すると今度は博多ラーメンが長浜ラーメンの特色であるストレートの細麺や替玉システムを取り入れ進化し、さらには久留米ラーメンにまでその影響が及びます。その後逆に長浜ラーメン・博多ラーメンが久留米ラーメンの特色である『呼び戻し』製法を取り入れたりと、年月を経るごとにお互いがそれぞれの特色を取り入れ、だんだんと垣根が曖昧になってきました。そんな中1985年福岡市で『一風堂』が開業。ここをターニングポイントとして、博多ラーメンのイニシエの時代が終わり、新時代に突入していきます。そして2000年代に入ると『ネオ博多ラーメン』と呼ばれる数々の名店が誕生します。

全国的にみると、今や『博多ラーメン』とは『長浜ラーメン』、『ネオ博多ラーメン』全て(『久留米ラーメン』は地域も異なることから別)を含む意味で使われることが多いため、「博多ラーメンが食べたい」と言われるとかなりの選択肢の中から選ぶことになります。まあそれはそれで正解なので、あっさり系がいいかこってり系がいいか好みを聞いて紹介しています。逆に「長浜ラーメンが食べたい」「久留米ラーメンが食べたい」と言われると「むむ!こやつできるな!」となってニヤニヤしながらお店を紹介します。

一応現在では、『長浜ラーメン=あっさり』『博多ラーメン=こってり』『久留米ラーメン=超こってり』というのが定番ですが、前述の通り『博多ラーメン』という言葉はかなり広義の意味で使われるため、「あっさり系の博多ラーメン」という言葉もおかしくはありません。が、「こってり系の長浜ラーメン」や「あっさり系の久留米ラーメン」と言われると若干違和感を感じます。

まあこれも時代を経るごとにまた変わってきて、いつか受け入れられるようになるんでしょうけどね。

 

ちなみに博多・長浜ラーメンの歴史をもっと掘り下げたい方は、以下の2冊がとても参考になりますよ。

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ラーメン記者、九州をすする!

ラーメン記者、九州をすする!

 

残念ながら『九州ラーメン物語(原 達郎)』は絶版となっているため手に入りにくいですが、ヤフオクでたまに見かけるのでぜひ読んでみてください。 

 

次回、そんな博多ラーメンおすすめのお店を『レジェンド編』と『ニュージェネレーション編』にわけ、人気のあるラーメン屋さんを歴史を掘り下げながら紹介していきます。

 ではでは。

 

 

 

【おまけ】

東京に行ったとき、東京を本店としながら『博多長浜ラーメン』という冠を持ち、さらに『久留米ラーメン』の製法である『呼び戻しスープ』を取り入れているラーメンに出会いました。

『博多ラーメン』『長浜ラーメン』『久留米ラーメン』全ていいとこ取りしたそのラーメンは思いの外おいしく、いや、むしろ絶品でした!

田中商店 ダイバーシティ東京プラザ
東京都江東区青海1-1-10 ダイバーシティ東京プラザ フードコート内 2F
ラーメン 820円

福岡のみなさん 、東京行った際はぜひご賞味ください。